~内的価値評価表を根底で生み出している「衝動」の存在~
「人間の型」さえ作り上げていく強い作用性を持った「内的価値評価表」であるが、価値評価意識が単独で、この「内的価値評価表」を作り上げているのではないと、とニーチェは考えている。価値評価意識と密接な関係を持つ、もう一つ別の意識のある働きが、価値評価意識と深くかかわりながら、内的価値評価表の形成において、重要な役割を果たしていくというのだ。
ニーチェはそれを「衝動」という意識作用としてとらえている。
先程、挙げたアフォリズムの中で、ニーチェは「価値評価」と「衝動」との関係について、次のように述べている。
…私たちの知性、私たちの意志、同じく私たちの感覚は、私たちの価値評価に依存しているが、その価値評価は私たちの衝動とその生存条件とに対応している。
『権力への意志』
「価値評価」と「衝動」とが互いに対応しているとニーチェはここで述べているが、それはどういうことだろうか? それ以前に、まず「衝動」というものを、どういうものとして把握しておけばいいのだろうか?
「衝動」に関してのニーチェの明確な規定付けはない。ただ「衝動」は「価値評価」の結果として生まれてきたものだというのがニーチェの考えである。
生存のために行われる価値評価、価値選別の働きが、ある特定の対象に対して何度も反復され、その特定の対象が常に価値選択されるようになり、それが生存のための不可欠の対象となって恒常的に求められるようになったとき、そこに「衝動」という、より強い意識エネルギーを持った反応現象が現れるとニーチェは考えている。
つまり、「あれか、これか」と常に対象を比較し選別し続ける価値評価意識から、比較されることなく直接そこに向かい、無条件に願望される強い志向性を持った「衝動」へと、価値評価の働きが変容し、固定していくという考えだ。
ニーチェのこの考えには、しかしどこかしら違和を感じる部分もある。一般的な受け止め方として、「衝動」という概念は「本能」と同質の、意識発生以前の生命現象に本来そなわっている原始的なものであり、価値評価意識はその後に生まれてきたものだという印象があるからだ。
「価値評価意識」と「衝動」をめぐるニーチェの考えをどうとらえるかは別としても、しかしニーチェがここで提示してみせた「衝動」というものが、内的価値評価表の形成過程で重要な役割を果たすことは事実なのだ。
ここからはニーチェの衝動理論を参考としながらも、ニーチェ思想の正統的解釈には拘泥せずに、考察を進めていくこととする。
~「衝動」と「価値意識」と「内的価値評価表」との関係~
まず言いうることは、その発生の経緯は別にしても、私たちの意識の中に、「衝動」という言葉でとらえられる強い志向性を持った反応現象が存在していることは、実感として確証できることだ。
たとえばそれは、理屈なしで生きることを欲する生存衝動であり、生きるために食物を欲する摂取衝動であり、性欲となって現れる性衝動等である。これらの衝動はほとんど本能的働きと区別できないが、しかしそのほかにも人間が人間として進化してきた過程において生まれてきた特有の衝動も存在している。
たとえばそれは、思考力や創造力を持つにまで至った人間に固有の「知的探究衝動」や「表現衝動」であり、集団性・社会性動物として進化してきた人間に固有の「名誉衝動」や「権力衝動」や「虚栄衝動」であり、あるいは、物質的なものによってもたらされる快感、利便性を限界を超え際限なく求めるようになった人間固有の「物欲衝動」であり(他の動物の物欲衝動は自然的抑制機能が生きている)、その他にも「衝動」という概念でくくることが可能な、理屈を超え特定の行動に本人を駆り立てる強い反応現象が人間の意識には多数存在している。
この「衝動」こそが、価値選別のさいに、ある特定のものを価値対象として選ばせている根幹にある働きだというのが、ニーチェの衝動論の要となっているのだ。
このニーチェの考えを理解しやすくするために、身近に存在する卑近な例をとって、具体的に説明してみることにする。
たとえばある若い女性が、有名タレントになりテレビやメディアに出て、人々から注目される存在となること、いわゆるスターになることに、生きる上での最高の価値を見出しているとする。この場合「有名タレント、スターになる」ことを、最高の「価値」として彼女に選択させているその根底にあるものは、「他の人びとから注目されたい」といった「虚栄衝動」、あるいは「名誉衝動」であり、同時に、普通の人々とは違う豪華な生活を手に入れたいという「物欲衝動」でもある。
彼女の心の中で他の人よりも大きく肥大している「虚栄衝動」や「物欲衝動」が、この彼女にタレントという職業を最高の「価値」として選ばせているというのが、ニーチェの衝動論に基づいた解釈となる。
こういうタイプの人物とはまったく逆に、お金や名声を度外視して、ただ自分が真に生み出したい作品世界を探求し続けたゴッホのような芸術家の心の中では、「名誉衝動」や「物欲衝動」よりも、純粋な「表現衝動」が、他の誰よりも強く育ち、それが彼に絵画表現を最高に価値ある営為として選択させていると、そう解釈することが可能だ。
物心ついた頃から、昆虫や植物の種類を調べたり、いろんなものの観察に熱中した体験を持つ人物の中では、「知的探究衝動」や「分析衝動」といったものが強く育ち続け、彼はその衝動に基づいて、学者や研究者という職業に高い価値を見出すようになっていき、そこに向かってみずからの人生の流れを選択していくこととなる。
~「根本衝動」の存在~
「衝動」というものがこのように、特定の対象を価値選択させる根底にある働きであるとすれば、誰もが心の中に持っている「内的価値評価表」が、そのまま直接的にその本人の資質を示しているとは言えなくなってくる。「内的価値評価表」の中のそれぞれの価値項目をその本人に選択させている「衝動」がどのようなものなのかという、その根幹部分まで見ていくことで、初めてその本人の「資質」が、明らかになってくるのだ。
たとえばある人物の中で、「医者」というものが最高の価値ある職業として選択されているとして、それを選択させている根底にある「衝動」がどういったものかということで、医者を志すその人間の資質への評価は違ってくる。
高い社会的地位を得たいという「栄誉衝動」や、あるいは人々から尊敬されたいといった「権威衝動」や「虚栄衝動」や、その他にも高額の年収を得たいという「物欲、金銭衝動」が、その人物に「医者」という職業を最高に価値あるものとして選択させている場合もあるし、それとはまったく違う、ただ純粋に病に苦しむ人々を救いたいという「利他衝動」や「共生衝動」的なものが、その人物に「医者」という職業を価値あるものとして選択させている場合もある。
同じ医者であったとしても、彼にその職業を選択させた「衝動」の違いによって、地位や金銭を何よりも優先し、患者をただのモノ、商品としてしか見れない質の悪い医者も存在すれば、心から手を差し伸べてくれる品格の優れた純粋な医者も存在していることとなる。診察室で対面しあうその医者の「内的価値評価表」を想定し、それを根底で生み出している「衝動」がどういうものかをさらに推察してみることは、患者として医者に接する私たちにとっては、とても重要なことなのだ。
具体的な人間の心理構造としてこの「衝動」の問題をさらに考察していけば、たとえば医者になることを欲している人物の意識の中には、それを価値選択させるただ一つの「衝動」が存在しているわけではなく、複数の衝動がそれぞれの強弱を異にしながら存在しているということが明らかになってくる。
純粋に人助けをしたいという「利他衝動」に基づき医者という職業を価値選択した人の中にも、「名誉衝動」や「金銭衝動」は存在していても、おかしくはない。ただ「利他衝動」の強さに比べ、他はかなり微弱なエネルギーしかもたない衝動である場合、「利他衝動」がその下位の諸衝動を従属させる力を持つこととなるのだ。
衝動はどのような人間の中にも、一つではなく複数(多数)存在し、それぞれの衝動の強さには違いがある。物欲衝動が他の衝動よりも圧倒的に強い人もいれば、探究衝動や表現衝動が強い人もいる。名誉衝動、虚栄衝動が肥大した人間も存在すれば、生や死や宇宙の根源を知ろうと欲する哲学衝動・宗教衝動が強いエネルギー値を持っている人間も存在している。
ニーチェは個々人が複数持っている衝動の中でもっともエネルギー値が強いものを、「根本衝動」と呼んだ。何をもっとも重要な価値あるものとして欲するのかというこの根本衝動は、個々人によってそれぞれに違いがある。
この根本衝動によって選択された価値項目が、『内的価値評価表』の最上位に位置することとなり、それを中心にして誰もが自身の人生の流れを価値選択していくこととなる。
この「根本衝動」とそれによって選択された内的価値評価表の中の最上位の価値項目が、その個人の「質」や「人間の型」を示す指標となると考えることができるのである。
価値評価意識と一体化しているこの「衝動」というものは、個々人の体験が作り上げる後天的なものではない。それは長い長い歳月をかけた人間種としての遺伝的継承を経ながら育ち続け、最終的に個人の中へと着床していくものである。そしてその「衝動」は感情や感覚等を支配するほどの強力なエネルギーを持ちながら、個々人の意識基盤に定着することとなる。
ニーチェは「衝動」について、次のようなアフォリズムを書いている。
衝動は、私の理解するところでは、高級の機関である。行為、感覚、および感情状態が、たがいに組織し合い、養い合いながら、入り混じって緊密に融合しているのだ。
『生成の無垢』
ニーチェが「高級の機関である」と言っているこの「衝動」こそが、「内的価値評価表」の形成過程において、ある意味、決定的な役割を果たしているのだ。

