~遠近法的な価値の位階構造とは~
価値意識が人間の「心の型」を作る骨格となり、それが「人間の質」を決定付けていくということに関連して、ニーチェは人間の具体的な心的構造を考察しながら、「遠近法的な価値の位階構造」という興味深い考え方を示している。
「遠近法」や「価値の位階構造」というこれらの語彙自体は難解だが、この考えの基本としてあるのは、次のようなことだ。
まず、どんな人間も、自分の心の中の一つひとつの意識対象に対して、無自覚のうちに価値評価を行い、自分にとっての価値の優劣を設定し、自分に固有の「価値のランク表」のようなものを組み立てていく。
この「価値のランク表」の中には、自分が興味を持っている諸商品に対するブランド価値の優劣を含め、趣味的なもの、社会的事象にかかわるもの、生き方にかかわるもの、政治信条や文明観にまでかかわるもの等の、様々な領域にわたる対象が価値付けされ、「価値ランク表」のそれぞれの場所に配置されている。
誰もが心の中にかならず持っているこの「価値のランク表」を、ニーチェは一つの立体的空間構造としてとらえる。
つまり、価値付けされる一つひとつの項目は、まず上下の高さによってその価値の優劣が示され、同時に本人にとって身近な対象かどうかという「近い、遠い」という距離感覚によっても、価値の重要度が決められる。
言葉だけでは伝わりにくいが、可能な限り平易な例を使って、この構造を具体的に説明してみる。
まず、ある個人の心を一つの立体的空間として想定し、そこに「スポーツ」、「文学」、「政治」という任意の3つの価値項目が配置されていると仮定する。
彼にとって、「文学」という項目は「スポーツ」という項目よりはるかに価値が高く、従って空間的に高い位置に配置されている。そして、「政治」という項目も価値は高いものとして認識されてはいるが、しかし、その本人にとって身近なものでもなく、その本人の生活感覚の中に具体的問題として座を占めることはない。
そのために「政治」という項目は、「文学」という項目と同じ価値の高さには置かれているが、それよりもずっと向こう側の、本人から離れた遠方に配置されていることになる。
心の中にある価値項目がこのような立体構造を持ってそれぞれの位置に配置されている状態を、ニーチェは「遠近法的な価値の位階構造」と表現したのだ。この遠近法的構造配置の中で、より上方に置かれ、さらにより近い場所に配置されている価値項目が、その本人にとっては、生きる上での不可欠で決定的な影響を及ぼすことになっていく。
~「内的価値評価表」が示す「人間の型」~
ニーチェが「遠近法的な価値の位階構造」という難解な言葉で示そうとしたことを、可能な限り単純化して考えてみるとすれば、「私たちは誰もが心の中に『内的価値評価表』を持っている」ということになる。
その内的価値評価表はノートと同じ形状をしており、そのノートの罫線に沿って、上から順番に、価値のランクを示す番号が書かれ、そこに生き方や行為や物品やその他生きる上で必要となるすべての事象に関しての価値項目が記されている。
この内的価値評価表こそが、その本人の「心の型」を示しており、それによってその本人が、どのような質を持った人間であるのかが見えてくるのだ。
例えば30代のある男性が心の中に持っている「内的価値評価表」の中の「人生の生き方にかかわる価値項目表」を素描してみれば、以下のような内容になるのかもしれない。人生を生きる上で、彼がより価値があると実感するものが、1位から10位まで、順番に並べられそこに記述されている。
(1位)仕事でキャリアを積み、出世すること。
(2位)年収が増えること。
(3位)マンションを購入すること。
(4位)女性にもてること。
(5位)人から実年齢よりも若いと言われること。
(6位)サッカーを観戦すること。
(7位)両親が長生きすること。
(8位)高級車を購入すること。
(9位)おいしい食べ物を食べること。
(10位)ゲームをすること。
それぞれの価値項目の内容があまりにもチープすぎるという印象を抱く人もいるかもしれないが、しかし今の時代を生きる大半の人間が持っている「価値意識」の内容は、このように俗っぽいものであることは、自分自分の心を正直に見つめてみれば理解されるはずだ。
ここに示された男性の「内的価値評価表」においては、まず何よりも、会社で出世することこそが、生きる上で、もっとも重要な価値あることとなっている。彼が心の底で欲しているのは、出世することで得られる「地位」や「名誉」であり、あるいは、金銭的な富である。他の価値対象のほとんども、「お金」や「外見のかっこよさ」といった通俗的なものとなっている。
この男性とはまったく別のタイプの価値評価表に従って生きている、次のような若い知性的な女性も存在するかもしれない。
(1位)貧困で餓死する子供たちを救うための国際的な活動に身を投じること。
(2位)国際社会で活動するために、語学力を磨くこと。
(3位)両親が元気で長生きすること。
(4位)品格を持った質の高い仲間たちと巡り会うこと。
(5位)いつも健康であること。
(6位)同じ価値観をもった男性とめぐりあい、結婚すること。
(7位)今の日本の政治が変わること。
(8位)好きな作家の本を読むこと。
(9位)生活にある程度の余裕ができること。
国際的なボランティア活動に身を投じて生きている知的な若い女性の心の中にある内的価値評価表は、このような内容になっているのかしれない。
むろん、このような明確で具体的な文章形式として、個々人の内的価値評価表が実際に存在しているわけではない。そして、そこに設定される価値項目の上下関係は、それほど明確に区分されているわけでもなく、その配列も、時代状況や、世俗的風潮の影響や、あるいは、個々人の体験知の成熟度によって、常に変動し、組み替えられ続けていく。
しかし誰もが自分の生に関わるものに対して、このような価値のランク付けを行い続けていることは確かなことだ。そして、この内的価値評価表は、どんな人間の心の中にも必ず存在しているのだ。
私たちの心とは、ある意味で、「内的価値評価表」に基づいた価値評価システムであるということができるのかもしれない。私たちは常にこの「内的価値評価表」に対応させながら現実を見て、そこに配置された価値項目を基準にして、みずからの人生の道行を選択し、組み立てていく。
自分の人生を「どのようなものとして受け止め、どのような志向性を持ったものとして作り上げていこうとするのか」という問題の一切を、この「内的価値評価表」が規定づけている。個々人の資質の違いはそのまま「内的価値評価表」の違いであり、それに従って個々人が生み出す生のあり方には違いが生じてくる。
さらに言うとすれば、「内的価値評価表」とはみずからの生にとってより重要なものと、そうでないものとを、ふるいにかけるフィルターであり、より重要なものとして選び取られてゆく価値対象は、個々人の生に、より重要な要素として組み込まれてゆき、それがさらに個々人の感性、感情、思考等に強い影響を及ぼしてゆく。これらのメカニズムによって一定の「人間の型」が形成されてゆくこととなるのだ。

